「なかのひと」という表現への違和感
最近のブログ記事やブログ自体を読んでいて気になる単語、
「なかのひと」
最初は意味もわからず、なんとなく感覚で受け止めていた。
ブログを書いている人とか、
サイトを運営している人とか、作っている人とか、
きっとそういう意味なんだろうけど、
なにか違和感が。。。
例えばここのブログの僕自身を表現するときは、
「THE HAM MEDIAのなかのひと」って表現になると思うけど、
なんだかおかしくないか!?
そんな疑問を抱くのは、きっと僕だけだろうけど・・・
「なかのひと」という表現の違和感
着ぐるみを着ている人をさすときに、
その「なかのひと」というのはわかる。
仮に、ミッキーマウスのなかのひと(夢を壊すような表現ですみません)と言われたら、
あぁ、ミッキーの着ぐるみを着ている人の事だな。
というのはわかるのです。
だって、着ぐるみの中にいるわけですからね。
でも、ブログを書いている人の「○○のなかのひと」っていうのは、
どういうことだろう?
サイトの中にいる人?サイトの中?
うん、ちゃんと考えると意味不明になってくる。
ってことでウィキペディアを頼る
説明の中で、こういう一文を見つけた
等身大ヒーローなどの特撮で特定のキャラクターを演じるスーツアクター(文字通り「"着ぐるみの中"に入っている人」)やプロスポーツにおけるマスコット(日ハムのBBが中の人についてHP上で言及したことがある)を指したり、これから転じて、ある役柄を演じる俳優、声優、さらにウェブサイトのウェブマスター(管理者)、特定の企業や団体などの関係者(インサイダー)まで指すこともある。
中の人 - Wikipedia
スーツアクターとかマスコットはわかるし、
企業や団体等の関係者ってのもわかる。
ウェブマスター?なじぇ?
なぜ管理している人が中の人なのだろう?
見る人にとっては、ウェブの中に管理者ととらえられるからだろうか?
僕がきっと違和感を感じるのは、サイト管理人だろうがどんな人だろうが、
人がウェブの中にいるっていう表現をするのが理解できていないからだと思う。
理解というよりも、納得いかないからだろう。
なぜ僕らは「なかのひと」なのか?
「なかのひと」という表現が当てはまるのであれば、
僕らはそのサイトのなかにいるということになる。
この表現がイメージできないから、
いや、その表現のイメージが実体的じゃないから違和感があるのだ。
なぜウェブの管理者のことまで「なかのひと」と呼ぶようになったのか、
とっても疑問でならない。
また「吉田戦車の中の人」というふうに本来ありえないことに茶化されて使用されることもある(この場合、吉田戦車の中の人など勿論存在するはずもないので、吉田戦車本人という意味となる。一方「普段の吉田戦車と違う感じの絵や話を描いている吉田戦車」などを指して「吉田戦車の中の人が違うんじゃないか」的な使い方をされることもある)
中の人 - Wikipedia
ま、つまるところありえないことの表現(比喩?)なんでしょうけど、
やっぱり僕には違和感があるようでならない。
・・・なぜ「なかのひと」なのだ!?
というよりも、なぜ僕はこんなようなことを真剣に考えているのだろう。。。
自分でもよくわからないや。。。