「理解する」ことは「受け入れる」ことではない
「その言葉はまるで自分に向けられているように聞こえるから - うどんこ天気」
上記のエントリーを読んで思った事があったのでエントリー。
少し論点がずれるのかもしれないけど、
どうも反論をしたくなってしまった。
肥満な人がいるという理解
いろいろ書こうと思ったけど、端的に。
肥満な人って確かにいるよね。
じゃないとメタボリック検査なんて行われるようになんかならないし。
食べるのが好きで、かといって運動するのが嫌で、
それを受け入れて肥満になった人もいるというのも理解できる。
食べても食べても太らない人もいるけど、
多くの人は食べたら食べた分体に影響してしまう。
だから肥満な人がいるということは理解できる。
自分で、好きで、そうしてて。私は、肥満していた当時、自分で、好きでそうして、そうしてたっけ?そ、そうし、そうしていたっけ?そうしていたっけ?私はそんなこと全然、全然そんなことなくて、毎日毎日何をどれだけ食べたらいいか解らない、食事の適正な量も解らないし、満腹感も空腹感も解らず、ただ、何かあれば食べることでしか何かを収めていけなくてそうしていただけだった。そうして、その「何か」は太っていることが原因でも起こっていたし、それで余計食べた。ただひたすらに、解らなかった。そしてそれ以外の選択肢が自分に有ったかどうかも今ですら解らない、それなのに。
その言葉はまるで自分に向けられているように聞こえるから - うどんこ天気
筆者の言うように、こんな風に自分ではわからなくなって、
それで肥満になってしまった人もいるんだ。
肥満な人を受け入れる?
結論からいうと、日本では受け入れられないのが大半だと思う。
美的な面からしても、健康面からしても受け入れることはできない。
健康面からは一番わかるでしょう、
メタボリック検査なるものまででてきたのですから。
「それでもいいんだ!肥満でもいいじゃないか!」
そんな風に考えるのもありでしょう。
自分のライフスタイルだもの。自分の好きにするのが一番だ!
でも、それを周りにも受け入れとというのは別問題。
例え自分でわからないうちにそうなってしまっていたとしても、
周りの人に「受け入れて」というのはいいのか?
「好きでなっているわけじゃないんだ。だから受け入れてよ。」
好きでなっているわけじゃないことは理解できる。
それはしかたない。うん。
でも、好きでなっている訳じゃないのに、なぜ改善しようとしないのか?
これは話の例に出てきた彼の主張と同じだが、
肥満を受け入れられない人からしたら、
「好きでなっているわけじゃないということを自分でわかっていながら、
なぜわかっていながらもそのままでい続けるか?」
そんな風に思う。
甘えの正当化
他のことでもいえるのがあるんだけど、
結局は「食べる」という欲求を満たすだけの行為をしているのは、
「甘え」であってをそんな甘えている自分を認めてと言っているだけだと思う。
解らないということが解っているのに、
その解らない何かを考えようとしないのはどうして?
考えたけど解らないものは解らないと言われそうだけど、
それは考えているのではなくて、考えようとしただけで、
実際は考えていないで事実を否定しているだけだろう。
少しの考えもなしに、受け入れてと言われても、
理解はできても受け入れるなんてはできない。
理解≠受け入れ
受け入れられないのは理解していない証拠だよとか反論があるかもしれないですが、
そもそも理解することと、受け入れて認めることと言うのは別問題である。
受け入れるかどうかは理解あってのことだろうけど、
受け入れあっての理解ではない。
痩せたい、痩せなきゃ
と言いながら太ってる(痩せない)人は
意志薄弱な怠け者だと思う
ので、受け入れたくない
太っていても気にしない、
好きで太ってるんだと言う人は
それは個人の考え方だからいいと思う
要は『ダイエット!!』と騒ぐデブが嫌いww
っと、毒吐いてしまった(´▽`*)アハハ
たしかに『ダイエット』と騒いでいる太っている人は僕も苦手です。
太っているからとかで嫌ったりとかは一切しないのですが、
それをまわりに主張するような人はダメですね。